伊勢大神楽

渋谷章社中

社中一同。『近江の祭り』米原公演

「しきたりにとらわれず伝統芸能を今に伝える」との信念から発足された大阪の宗教法人です。石川宗太夫、森本長太夫の場を継承し回壇しています。平成15年10月2日、大阪府から「神楽草創の神意を体し、人々の安寧と世の中の安泰を祈る」という教統に加え、日本の伝統芸能として歴史性と高度な技芸の公益性が認められ、「宗教法人神道伊勢大神楽教」として認証され今日に至っています。

ここに日本の伝統芸能に造詣が深いジャーナリスト福井武郎氏の寄稿文があります。渋谷章社中が1998年(平成10年)に上梓した写真集『伊勢大神楽』に寄せられた伊勢大神楽の発祥から渋谷章親方との出会いなどについての寄稿文です。

『ジャーナリスト 福井武郎氏

『伊勢大神楽をおいかけて』 

獅子舞いとして親しまれてきた伊勢大神楽。元をたどれば伊勢神宮のお使いだ。発祥の地は三重県桑名市の西の丘陵にある太夫町の増田神社。いまから約600年前にここを本拠に伊勢神宮に参拝できなかった人たちに伊勢神宮のお札を持って1年に1度、西日本の各地を回ったのが、その始まりだ。そのため昔は、代わりに伊勢神宮に参拝するため代神楽と呼ばれていたこともあった。

 

△渋谷章社中所蔵『久波奈名所図会 全巻』より

現在も伊勢神宮に参拝する人は多いが、昔は「伊勢神宮参拝は一生に一度の大夢」というほど信仰は厚く、伊勢講というグループを作って命懸けで参拝した。しかし、伊勢神宮へ参拝できる人は、ほんの一握り。ほとんどの人にとっては夢の夢だった。そんな人たちのために伊勢神宮の神札を持った伊勢大神楽の一行が地方へ分散、一軒1軒の家を門付けして無病息災、家内安全などのお祓いをするのがその任務だった。

 


 

各組が手分けして近畿、北陸、山陰、瀬戸内、四国を1年間かけ旅巡業するのだ。雪の日も、雨の日も、台風の日も、そして灼熱の真夏日にも、これらの地方のどこかで獅子は元気に舞っている。

そんな獅子舞に初めて出会ったのは10年前の秋だった。 家族と兵庫県篠山町を車で走っていた時、深い森に囲まれた小さな神社の前から軽やかな笛、太鼓、鉦のお囃子が聞こえてきた。 京都で育った私は子供のころ、門付けにきていた獅子舞いを知っていたので「ああ、懐かしいな」という思いだったが、小学校の低学年だった娘にとって獅子舞いは生まれて初めて見るもの。奇異なものに映ったはずだ。しかし、娘は怖がることもなく、獅子舞いに見入っていた。そして、親方から手製の笛をもらい、うれしそうに抱き締めていた。

 

 

これが、渋谷章氏との出会いであった。数日後、娘から「学校に写真を持って行って先生や友達に、獅子舞いの話をしたら、私も見たい、見たいと言っていた」とうれしそうに報告してくれた。娘は初めて見た獅子舞いに感動したのだ。それがきっかけで渋谷氏と親交を深めるようになったが、実は私も「獅子舞いは正月だけのもの」と思っていた。

聞いてみると旅をしながら一年中舞っているという。せわしげな世の中に、一年中獅子舞いを受け入れるところが、本当にあるのか?小さな子供を魅了、感動させたものはなんだったのか、素朴な疑問を持ったものだ。では、この目で確かめてやろう。

 


 

そして、知ったのは獅子舞いが多くの人たちに愛されている、ということだった。

福井県では獅子舞いに手を合わせて感謝するお年寄り、滋賀県では社中一行を座敷に招いて食事の接待、小豆島では獅子舞いの後ろについて回る子供たちの姿……私たちが生活する都会では絶対に出会えないシーンの連続だった。

日本人が忘れかけている素朴な感動を、この本を通じて一人でも多くの人に知ってもらいたい。そして、実際に自分の目で確かめてほしい。

きっと魂が騒ぐだろう。

福井武郎氏/大阪日刊スポーツ社編集局報道部の記者を長年つとめられ芸能に造詣が深い。