伊勢大神楽

家元紹介

小沢昭一氏と共に

終戦を迎えた1945年、元大神楽師の家に生まれた渋谷家元。そのため幼いころから神楽には親しみを持っていた。ピアノの調律師として働いていた26歳のある日テレビで神楽を見た途端に懐かしい気持ちがこみ上げてきた。いてもたってもいられず数日後には出演していた社中を訪ね入門を決めた。寸暇を惜しみ笛や太鼓などの練習に打ち込み普通なら2、3年かけて覚える技術を3カ月で修得。そして昭和49年5月に独立した。
長年の心の支えになったのが俳優で芸能史研究家の故小沢昭一氏。昭和48年ごろ雑誌の取材で10日間寝食を共にした。最後に「いろんなことがあるけど頑張れ。志持ってしないと大成しない。『若獅子の旅立ち』だ」と言われたのが心に残り交流が始まった。小沢氏が関西を訪れた時には二人で会いそのたびに「伝統芸能は日本の原点だからよろしくお願いします」と頼まれた。

 

「偽物の神楽」との誹謗、中傷にさらされるなど多くの試練があったが小沢氏の言葉を支えに自らが信じる道を一筋に歩み続けた。これまでに3万7千軒の信者を増やした。最初はゼロだった獅子頭も増えた。「40もの獅子頭を持っている社中はうちだけ」と胸を張る。

42年間、第一線に立ち続けてきたが将来を見据え「あと数年で家元を譲る。交代となると信用度が問われるが私がまだ元気のうちに譲りたい」という。

 

 

 

 

「(獅子舞でお祓いした)子供が大きくなった時に『かわいがってもらったな』と思い出してもらえればうれしい。それが人とのつながり。神楽の笛も好き、獅子も好き、全てが魅力的。次世代に伝えていきたい」