伊勢大神楽
江戸時代の百科事典『嬉遊笑覧』には「獅子舞は伊勢の吾鞍川より出るを学びて諸州に大神楽あり」と記され、同じく江戸時代の『伊勢参宮名所図絵』にも「三重郡阿倉川村より六組、諸国竈祓をなす」と述べられています。阿倉川(現三重県四日市市は伊勢大神楽の発祥地のひとつです。
神宮文庫所蔵の資料『神鳳鈔』によると中世の海蔵村(阿倉川)は伊勢神宮領でした。室町時代になると阿倉川の北條に修験者(山伏)の集団が居住。その修験者や神人の一部が伊勢神宮御師の手代となって檀家の祈祷に巡行したのが大神楽の始まりです。その折に伊勢国の獅子舞神事にならって獅子頭をかぶり伊勢散楽田楽の笛太鼓の囃子と滑稽な仕草を取り入れました。一説によると鈴鹿市稲生の伊奈富神社の獅子舞にいた阿倉川の笛師三人が帰郷後、囃子や曲芸などを添えたとか。
阿倉川(海蔵地区)の太夫たちは「高之宮大明神」を奉斎しました。高之宮社の祭神は豊受皇太神荒御魂、猿田彦命。現在は海蔵神社に合祀されています。宝暦十一年の「以書付奉申上候」には高宮大明神祇官 舘与四太夫とあり代々舘家が高之宮社の神祇官を務めました。高之宮社はもともと海蔵地区の宮之前にあり須賀神社境内に祀られていました。しかし北條(きたじょう)の八幡神社の相殿へ奉祀後、明治40年には海蔵神社に合祀されました。